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らんちゅう・土佐錦の飼育

土佐錦魚イメージ

土佐錦魚の歴史(土佐錦魚の本格飼育法)

江戸時代今から約200年前、山内家家老、乾市正の与力、須賀氏が、江戸から金魚を持ち帰り、飼育をはじめたのが、土佐錦魚の歴史の始まりで、持ち帰えった品種は、和金かマルコか不明です。

その後1845年に大阪らんちゅうと琉金を交配して、土佐錦魚として、固定したのは、同家の子孫の須賀亀太郎氏です。 最初に固定された時は、現在のような形ではなく、海老前(えびまえ)といって、左右の親骨が単に前の方に出ているだけだったようです。

土佐錦魚は、幾度となく絶滅しそうになり、とくに、昭和21年の南海大地震で絶滅の危機に瀕したことがありますが、この危機を救ったの田村広衛氏(田村翁)です。田村翁は、大地震で水浸しになった高知市で、たまたま、鉢の中に生き残った土佐錦魚を見つけ酒好きの主人と交渉、山奥まで自転車で走り焼酎を手に入れ土佐錦魚と取り換え、その土佐錦魚を元に仔種を増やしていったというエピソードがあります。

田村翁の時代に、大きく反転する尾に改良され基本の型、理想の型が完成し今も変わりません。昭和44年8月8日高知県天然記念物に指定されました。昭和46年に矢野忠保氏が東京を中心に土佐錦魚を分譲し全国に門戸が開かれました。その後皇太子殿下時代の天皇陛下に献上された輝かしい歴史もあります。

土佐錦魚の特徴

南国高知で飼育保存されて何万尾に1尾くらいの厳しい確立で天然記念物として登録されているようです。
体型は琉金型ですが、尾びれが平付で成長とともに前方にカールし、花のように華やかに華麗に展開します。最近は退色が早い種類も増えてきましたが数的には退色が遅くなる魚が多いようです。

田村翁が大地震の時に生き残った魚が退色が遅い系統の魚だったという話を聞きました。
この未退色の黒い魚がいることは非常に興味深く土佐錦魚の大きな特徴となっています。退色が遅くなる魚はベテランの方は魚を見ると判るそうです。鱗や体の一部に点のように赤く退色した所ができるそうでそれが出ると退色が遅れるようです。
南国生まれの土佐錦魚は低温に弱く体質も繊細で飼育が難しい品種であるといわれています。