ほとんどらんちゅうの仔引き経験がない 金魚一道 U による 冬眠明けから品評会エントリーまでの戦いの記録。
筆者は記事のなかで同じチームでレースを走り、ウィナーズデイトナを手にした長谷見昌弘氏、そして星野一義氏の個体もこの目で見てみたいと書きつづった。それから数カ月。ついにその願いが叶ったのだ! 今度は長谷見氏のウィナーズデイトナである。
長谷見昌弘
1992年のデイトナ24時間レースに参戦し、総合優勝を果たしたチームメンバーのひとり。19歳で日産ワークスオーディションに合格。1965年にレースデビュー。スポーツカー、フォーミュラカー、ラリーカーとクルマを選ばず多くの勝利を挙げ、数々のタイトルを獲得。1989、91、92年の全日本ツーリングカー選手権(Gr.A)チャンピオン。77年から積極的に海外のレースにも参戦。マカオグランプリ、ル・マン24時間レース、ニュルブルリンク24時間レース、ダカールラリー、ラリー・モンゴリアなど枚挙にいとまがない。ロレックススーパーコピー優良サイト2011年にはNISMOが結成したNDDP RACINGの監督として、全日本F3選手権ナショナルクラスに参戦。2018年のシーズン終了後にNDDPの監督を退任、その後はNISMOの名誉顧問を務めている。
ロレックスは現在、フォーミュラ1、FIA世界耐久選手権™、ル・マン24時間レース、そしてデイトナ24時間レースなど、世界的なモータースポーツイベントで公式タイムキーパー・パートナーを務めているが、なかでもデイトナ24時間レースとル・マン24時間レースでは、レースの優勝者(チームのドライバ)にコスモグラフ デイトナが贈られることになっている。その優勝者に贈られるコスモグラフ デイトナこそ、ウィナーズデイトナだ。
デイトナ24時間レースでは1992年から、ル・マン24時間レースでは2001年から優勝者にコスモグラフ デイトナが贈られているが、ケースバックにレースのロゴと優勝年を示す4桁の数字、そして優勝者を讃える“WINNER”の文字が刻印されるという点が大きな特徴である(厳密に言えば、開催年によってロゴのデザインが異なるほか、ロレックスロゴが入るものもある)。時計はその時々の現行モデルであり、基本的に通常販売されるものとデザインや機能に変わりはないが、レースの勝者だけが手にすることができる極めて希少な存在なのである。
「いただいてから普段も身につけていました。特にレース関係者と会うときにはいつもつけています。これまでにオーバーホールをしたことはないですね。だから最近ちょっと調子が悪いんですよ。リューズを回すときに変な感じがあるでしょう?」
そう長谷見氏から言われてリューズを回してみたが、実は特に違和感は感じなかった。むしろ気付いたのは、センタークロノグラフ秒針の針ズレだ。リセットプッシャーを押したときに12時のゼロ位置で止まらず、少しズレた位置に針がリセットされたのだ。これは確かに調子はよくない。だが、外装を見る限りそれ以外は特に問題はなく、むしろこの時計が30年以上前のものだと考えると、とてもキレイなものだった。
自動巻きのコスモグラフ デイトナ Ref.16520は、1988年から製造を開始し、2000年にRef.116520が発表となるまで製造されたが、細かな話をすると製造時期によっておおよそ7種類のダイヤル(マークI〜 VII)が存在していることがわかっている。長谷見氏のウィナーズデイトナはどうだろう? 詳細を見てみたい。
1992年に贈られたウィナーズデイトナということ、加えて時計のディテールを見る限り、長谷見氏のものはおそらく1991〜1994年頃(1990〜1992年頃とする説も)に製造された個体に見られるマークIV(4型)ダイヤルだと思われる。マークIVダイヤルの特徴は、12時位置の5行でプリントされたレターのうち、ROLEXの表記以外がサンセリフフォント(ひとつ前の時期のマークIIIダイヤルでは、すべてセリフフォントだった)、同じく6時位置の“T SWISS MADE T”表記もサンセリフフォント(マークIIIでは、すべてセリフフォント)になっている点にある。さらに最初期から共通のディテールだが、6時側の12時間積算計インダイヤル目盛りの“6”の数字が逆さまにプリントされて“9”のように見える、通称“逆6”になっているのも特徴。このあとに登場するマークVダイヤルでは“逆6”ではなくなり、文字盤の上下を基準に正しくプリントされた通称“正6”となる。
ブレスレットについても確認している。3列リンクのオイスターブレスレットはオールサテン仕上げ、バックルはシングルロックタイプだ。ブレスレット裏側に刻印された番号は、ブレスレット番号の78360(バックルの折り返しプレートにも刻印が見られる)、フラッシュフィット番号の503の数字が刻印されている。これはRef.16520に採用された最初のブレスレットで、1994年頃(95年頃とする説も)に新しいものと切り替わるまで使われたとされているものだ。これについても贈られた時期と一致しているため、当時のままなのだろう。
長谷見氏のウィナーズデイトナを見せていただいて気づいたのは、鈴木氏が持つものとは異なり“ブラウンチェンジ”していなかったということだ。一説によると、1991〜1999年頃まで製造されていたというマークIV、マークV、そしてマークVIダイヤルには、インダイヤルのブラウンチェンジが確認されている。長谷見氏の個体も鈴木氏のものと同じタイミングで贈られているため、製造時期は同じはず。であれば、同じようにブラウンチェンジしていてもおかしくないはずだが……。前述の3タイプのダイヤルが必ずしもそうなるというわけではないが、鈴木氏はずっと金庫に保管していたといい、長谷見氏は前述のとおり、普段も身につけていたということを考えると、おそらく使用環境が影響しているのだろう。これはなんとも興味深い事実だ。
1992年からロレックスがタイトルスポンサーとなったデイトナ24時間レース。同年のレースで、初出場ながら初優勝。しかも日本製のマシンと日本チーム、そして日本人ドライバーが初めて達成するという快挙を成し遂げたのが、日産のワークスチーム(自動車メーカーが自己資金でチームを組織したチーム)のひとつだった当時のNISMOだ。そして星野一義氏 、鈴木利男氏、アンデルス・オロフソン氏らとともに同チームのドライバーを務めたのが、今回取材をさせていただいた長谷見昌弘氏である。彼に話を聞くと、デイトナでの優勝の背後には、さまざまな事情があったことがわかった。
1990年のル・マン24時間レースでポールポジションを獲得したNISMOだったが、結果は当時の日本車・日本人ドライバー最高位となる5位入賞。チームは91年の優勝を見据えて準備を進めていた。その後のデイトナ24時間レース参戦の経緯は前回の鈴木氏の記事のなかでも触れているため割愛するが、1991年のル・マン、デイトナ24時間両レースの出場キャンセルを経た92年当時の様子を長谷見氏は次のように話す。
「ル・マンの代わりに出場が持ち上がったデイトナも、直前で出場がキャンセルになりました。これが幸か不幸か、92年のデイトナに参戦するまでに十分な時間ができたため、いろいろとテストもできたんです。だから準備は完璧だった。デイトナ24時間レースの開催は2月1日からでしたが、それに先駆けて1月の1、2、3日にテストデーがあったんです。もちろんレース本番はどうなるかわかりませんが、その時点で優勝の可能性が十分に見えていたという状況でしたね」
MB&FがHM11 “アーキテクト”をドバイ・ウォッチ・ウィークの前日に発表するという選択には、何か詩情的なものを感じる。この時計は逆説的ではあるものの、最近のブッサーのオロロジカル・マシンに見られる(こんなことは言いたくないが)予測の範疇を出ないクルマ的なデザインから、遠く離れたところにあるように見える。これは、ブランドが私に言ったように“手首のための家”なのだ。
別に、MB&Fの時計が一般的に巨大なサイズであることを評しているのではない。HM11のサイズは直径42mmで(それでもかなり大きい)厚さ23mmと、比較的小さい。また、HM11の19万8000スイスフラン(日本円で約3355万円)という価格を非難しているのでもない。MB&Fのオロロジカル・マシンのほとんどは、まるでほかの“モノ”のような外観をしている(その多くはクルマだが、なかには意図せず……、そう、ナスの絵文字のようなものもある)。今回の時計は、モダニズムと有機的建築の哲学を取り入れた1960年代と1970年代の近未来的建築からインスピレーションを得ている。
MB&F HM-11 "The Architect"
マッティ・スーロネン(Matti Suuronen)が1970年にグラスファイバー強化プラスチックでデザインした住宅、フトゥロは、MB&FのHMに対してしばしば目にするのと同じような反感(または信じられないというような反応)を受けた。インフレ調整後のフトゥロの価格は約10万5000ドルであった。その外観は、アンティ・ロヴァーグ(Antti Lovag)の“パレ ビュル”(水まわり設備なし)スーパーコピー時計とチャールズ・ハートリング(Charles Haertling)の“ブレントンハウス”を足したような感じだ。ブッサーは実際のところ、妻はこれらの建物に住みたがらないだろうが自分は住んでみたいと認めている。ブッサーに“これはいい時計になりそうだ”と思わせたのは、“ブレントンハウス”に関するInstagramの投稿だった。
上記のどの建物もそうであるように、どのHMも(HM5やHM8 Mark 2を除いて)自分のためにあると感じたことはない。しかし、少なくともそれらを解釈し、魅力を理解するために最善を尽くしている。
Charles Haertling Brenton House
チャールズ・ハートリングの “ブレントンハウス”。
1960年代と1970年代を振り返ってみると、当時の建築家たちはしばしば伝統的なデザイン言語からの脱却を常に試みていた。伝統的なデザインは大衆にとって快適で親しみやすいものであったものの、近代的な建築技術、資材、工学的知見の活用による発展が難しかったのだ。このように聞くと、こうした建築家たちの努力と近代化デザインへのアプローチが、(意外にも)長年にわたってブッサー魅了してきたことに驚きはないだろう。不可能に近い形状のサファイアクリスタルや加工が難しいチタンなど、ブッサーのチームが乗り越えなければならなかったのと同じ課題が、そこにもおしなべて登場する。そして、デザインリーダーであるエリック・ジロー(Eric Giroud)は、これまでのように自動車業界に目を向けるのではなく、建築のバックグラウンドをHM11のレイアウトに反映させた。
ブッサーとジローは、HM11を4つの部屋を持つ家として構想した。それはモンサントの“ハウス・オブ・フューチャー”のようなもので、中央のエリアとそこから枝分かれした快適なスペースを備えている。HM11の中央の空間には、ダブルドーム型サファイアガラスの下に、1分間で逆回転するセンターフライングトゥールビヨンが配置されている。この時計は2色展開で、ひとつはPVD加工を施した“オゾンブルー”の地板を、もうひとつは5Nゴールド製の地板を使用したもので、それぞれ25本ずつが用意される。しかし、こうした華やかな要素もさることながら、本当のパーティはHM11ハウスのサイドルームで開催されている。
MB&F HM-11 "The Architect"
実用面の話をすると、HM11はHM3以降のすべてのオロロジカル・マシンと同様に、手首に斜めに装着して時間を読み取ることになる。そう考えると、これはMB&Fがこれまで製造してきた時計のなかでもっとも読みにくい時計と言えるかもしれない。私は幸運にも視力が1.0であるため、変わったダイヤルの色や針の組み合わせ、あるいはカルティエのタンク ア ギシェのような奇妙な表示であっても、視認性についてとやかく言うことはない。実際、この手のレビューでは“木を見て森を見ず”という状況に陥り、苦労することが多い。しかし、いずれにしても(そして今回も)、これらが実用的な時計というよりは、その名が明示しているように手首のための彫塑的な機械式時計であるということが重要になってくる。視認性と実用性を求めるなら、MB&Fの“レガシー・マシン”のラインナップから好きなものを選べばいい。レガシー・マシンでさえも市場で特別視認性に優れた時計とは言えないが、いずれにせよあなたが求めるものはHMではないだろう。
MB&F HM-11 "The Architect"
この場合あなたが実際に購入することになるのは、1960年代から1970年代の偉大なデザイナーたちに向けた素晴らしいオマージュであり、全体的にポッドのようなデザインをさらに推し進めた意匠である。その証拠に、4つの部屋のうちひとつ目の部屋には、先端が赤い2本の白いアロー針が付いた小さなディスプレイが見える。しかもその針は0.6mmほどとかなり小さい。針はディスプレイの中央から放射状に伸びる短いロッド上の金属球を指しており、15分間隔ではシルバー色、それ以外の5分間隔では真鍮色となっている。その計時はアメリカの工業デザイナー、ジョージ・ネルソン(George Nelson)が手がけたボール クロック “Horloge Vitra”からインスピレーションを得たものだ。このデザインは私の記憶に深く刻み込まれており、HM11を見るまで誰の作品かを考えたこともなかった。そのすべてが高さ約11.45mmの窓のなかに収められているのだから、はっきり言って時計のフェイスとしてはそれほど大きなものではない。
MB&F HM-11 "The Architect"
Horloge Vitra George Nelson
“ボール クロック”。courtesy Vitra.
トゥールビヨンムーブメントの水平面からこの時計(そしてこれから紹介するほかの部屋)のような垂直ディスプレイに動力を変換する方法として、このブランドは円錐状の歯車を採用し続けている。この時計のそれは私が覚えているどのHMよりも際立っており、MB&Fの時計をここまで魅力的なものにしている創意工夫を知るにはうってつけのモデルとなっている。
MB&F HM-11 "The Architect"
ほとんどの現代建築プロジェクトと同様に、この時計でもエネルギー効率がキーとなってくるのだが、HM11は2種類の方法でそれを実現した。ひとつは2部屋目にある。そこにはパワーリザーブに相当するような表示があり、ゼンマイに蓄えられた96時間の動力をカウントダウンする。
MB&F HM-11 "The Architect"
ひとつ目の部屋からふたつ目の部屋を見に行くのに、体を無理にねじる必要はない。それどころかこの時計は、直感的に、簡単にひねるだけで中心軸を中心に一方向に回転する。45度または90度ごとに位置が固定されるため、勝手に回ってしまうことはない。実際、45度だけ回転させれば、“ドライバーズ”ウォッチのようにより見やすくなる。これらすべてが長いラグを備える軽量なチタン製フレームに支えられている。
MB&F HM-11 "The Architect"
MB&F HM-11 "The Architect"
3つ目の部屋は昨今あまり目にしない斬新なもので、摂氏と華氏のどちらかを選べる温度計となっている。事実、この時計は温度計を備えた数少ない近代的な機械式時計のひとつだ。この種の複雑機構はかつてポケットウォッチにも搭載されていたが(例えば、ユール・ヤーゲンセン作のものをいくつか見た記憶がある)、現代の市場ではボール社のものしか思いつかない。そのような時計は、着用者が一定時間手首から時計を離さなければ、体温が温度計の機能に影響を及ぼしてしまう。つまり、1日中体温を計測し続けることになるのだ。だが、この新しいHM11にはそのような問題はない。
MB&F HM-11 "The Architect"
温度計のデザインにMB&Fの熟練した時計製造技術が用いられているという理由だけでも、(あまり役に立たないかもしれないが)かなりスマートな機構である。この時計はバネ式温度計を採用しており、コイル状の金属は温度が上がると膨張し、下がると収縮する。時計職人が学んできたヒゲゼンマイの加工技術が、どうやら温度計の調整にも応用されているようだ。
MB&F HM-11 "The Architect"
MB&F HM-11 "The Architect"
最後の“部屋”は、通常の時計であれば3時位置にある(この時計が時刻を見るためにセットされている場合、少なくとも)。この部屋にあるのは別の機能ではなく、時間設定用の透明なクリスタル製リューズで、ブランドはこの部屋を時計の玄関と呼んでいる。そこはリューズを載せるにふさわしい場所だが、当然ながらこれは普通のリューズはない。
通常のリューズには2mmのガスケットが必要だが、このリューズはサイズが大きいために若干の見直しが必要だった。その結果、2組のガスケットにより一種のダブルエアロックのようになっており、合計8個のガスケットがリューズに使用されている(時計の内部には19個使用されている)。これにより20mの防水性を実現した。しかし、リューズのサイズが問題を引き起こした。時計の初期設計ではリューズを引き出そうとすると、ドーム型クリスタル内のわずかな空気の真空圧によって即座に吸い戻されてしまうのだ。その解決策としてリューズの容積を大きくすることで、引き出したときのわずかな容積変化の影響を緩和したのである。ほとんどのブランドが時計の薄型化に取り組んでいるなかでおかしなことではあるが、これはスマートで必要な選択で あった。
最も多くの人が参加する最大規模の商業オークションが連続して開催され、今年は開催が延期されたものの隔年にはOnly Watchチャリティーオークションもある。また、高級時計財団(Fondation de la Haute Horlogerie's、FHH)の文化評議会、いくつかのブランドイベント、そして目玉となるジュネーブ時計グランプリ(GPHG)の投票・授賞式など、間違いなく2023年秋のジュネーブカレンダーがピークを迎えた時期だ。ご存じのように、GPHGは、我々の業界で言うところのアカデミー賞に最も近い。完璧ではないものの、業界が誇る最高のものであり、より広いコミュニティにとっては貴重なイベントである。私は今年、4回目となるGPHG審査員に選ばれ、1週間ジュネーブに滞在した。そしてそれは旧友に会ういい機会だった。というわけで、ジュネーブで過ごした時間(の一部)を、非公式な日記として少し紹介しようと思う。
日曜日: マンダリン オリエンタルでオークション&ウォッチトーク
今週ジュネーブで過ごした私の腕には? ロレックススーパーコピー代引き 激安 コスモグラフ デイトナ 126529LN “ル・マン”が巻かれている。
午前9時頃、ジュネーブに到着した私はホテルへと向かい、チェックインを終え、シャワーを浴びて身支度を整えた。その日曜日、私が特に見たいと思っていた数点を、サザビーズが出品していたのだ。当初気づかなかったが、オークションのためにマンダリンまで足を運んだことで、何年も会っていなかったコレクターコミュニティの中枢へと足を踏み入れることになる。マンダリンのメインエントランスからバーまでのわずか15フィート(約4.5m)のあいだに、マイケル・サフディ(Michael Safdie)、ダビデ・パルメジャーニ(Davide Parmegiani)、そして友人のウェンディとアモス(ふたりはシンガポールにいる素晴らしいランゲコレクターだ)と出会った。
彼らに挨拶をしたのちセキュリティーを通過すると、唯一無二の存在であるクロード・スフェール(Claude Sfeir)がいた。クロードは伝説的なコレクターで、オークション界の中心人物である。彼は体調を崩したり、その前にはCOVIDが集まりを妨害していたため、お互いに会うのは何年かぶりだったが、彼は相変わらずとても親切で思いやりのあるコレクターだった。クロードと十分に挨拶を交わしたあと、私はオークション会場に向かった。すると会場の奥にいたロジャー・スミス(Roger Smith)を見つけた。彼が手掛けるプラチナ製のダニエルズアニバーサリーウォッチが、この後のオークションに出品される予定だったのだ。ロジャーは私の大好きな時計関係者のひとりなので、私は彼のところに行ってみた。すると彼は、何か違うものを身につけていることに気づく。プラチナ製のランゲ ダトグラフのファーストシリーズだ! これが“ダトー”(貴族に相当する称号)のお墨付きでなくて何なのか。
アニバーサリーウォッチセールの前にまだいくつかのロットが残っていたので、我々はロビーのバーにあるテーブルを囲んだ。そのグループにはロジャー、クロード・スフェール、私、ハムダン・ビン・ハマド(Hamdan Bin Humaid)というとても素敵な男性(私はすぐに、ネットで見た中東の独立時計に関する素晴らしいプロジェクトの仕掛け人だと気づいた)、
そう、こんな感じだった。しばらくしてから我々は皆、ロジャーの時計を見るためにオークションルームに戻った。これもまた、彼が2008年に工房設立のために売却した私物の時計だった。このロットは極端なスタイルで行われた。スフェールを含む4人の入札者と2人の電話入札者(そのうちのひとりはアメリカからのものと思われる)により、210万スイスフラン(日本円で約3億5580万円)以上で落札されたのだ。ほんの数年前ならむしろ誤解していたであろう時計にとっては、信じられない結果だと思う。
オークションのあと、何人かはロビーのバーに戻って昼食をとり、数時間話し込んだ。とても楽しい人たちとの素敵なソフトランディングで週のスタートを切れたことをうれしく思う。
月曜日: ラート美術館にてGPHG審査員として投票
前述したように、ジュネーブ時計グランプリ(GPHG)は、“時計界のアカデミー賞”のようなものだ。10年前、私に初めて審査員の依頼が来た。それ以来状況は大きく変わったが、最終的にGPHGは、毎年完璧ではないにもかかわらず(すべてのトップブランドが参加するわけではない)、高級時計製造のための絶対的に優れた賞であり、非常に高い評価を得ている。私は審査員として、事前に選ばれた候補の時計が並んだ部屋に12時間近く座り、議論し、無数のカテゴリの勝者に投票した。世界の偉大な専門家たちに囲まれながら、すべての時計を手にして詳細に見られた素晴らしい日である。しかしGPHGを特別なものにしているのは、審査員の質だ。私の朝のテーブルはマックス・ブッサー(Max Büsser)とヴィアネイ・ハルター(Vianney Halter)とモハメド・セディキ(Mohammed Seddiqi)だった。この3人は時計に詳しいと言えるだろう。
ヴィアネイ・ハルターが私の時計をチェックしている。
5つのカテゴリのあと、テーブルが入れ替わる。私の次のグループには、審査委員長のニコラス・フォルケス(Nick Foulkes)や、私が以前から会いたいと思っていた、東京に拠点を置く彼の名を冠したウォッチブランドを手掛ける飛田直哉がいた。情熱は言うに及ばず、その知識量には本当に感心させられた。ジョージ・バンフォード(George Bamford)、マーク・チョー(Mark Cho)、ダニエラ・デュフォー(Daniella Dufour)、クリスティアン・ハーゲン(Kristian Haagen)、Dimepieceのブリン(Brynn)など、昔からの友人たちにも会うことができた。ここでは、2023年のGPHGで候補に挙がっていたいくつかの時計を紹介しよう。
この日たくさんのことを考えていたが、12時間にもおよぶ審査はいつも驚きを与えてくれる。例えば、ジェブデ・レジェピ(Xvedet Rexhepi)の時計の美しさとか。今年の初めに完成予想図が公開されて以来、実機が見たくてたまらなかったこの時計は、想像していた以上に素敵だった。長いラグ(ある意味では、弟のレジェップがJPハグマンとともに製作したものに似ている)、細身の輪郭、そして考え抜かれた複雑機構は期待以上だ。しかし、これはまだ本来の機能を果たしていないプロトタイプだったため、今年のGPHGの投票では候補から外された。しかし、若いレジェピの未来は明るいと言えるし、この時計のために予約をした人たちは今後の展開に自信を持つべきだ。そして来年のGPHGで彼と再会できると確信している。
明るいパウダーブルーの文字盤は現代的だ。
リヤキャリバーはアンティークのように見える。私はこの組み合わせが大好きだ。
そのほかの感想としては、スタジオ・アンダードッグによるシーガル社製クロノグラフの解釈が素晴らしかったことだろうか。この非常に魅力的なレイモンド・ウェイル(同部門で優勝)もそう。私は至って真剣だ。下の写真は、この時計を正当に評価しているわけではないが、ケースと文字盤は非常によく考えられていて完成度が高く、チャレンジカテゴリでこの時計以外を考えるのは難しかった。